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第6回 伊藤俊幸さん

同窓生は今 一つ事、いちずに…

katsuyaku_itoh01.jpgグランド・プリンス高輪・新高輪
総料理長 伊藤 俊幸 氏

伊藤俊幸 伊藤俊幸氏59歳。フレンチの世界では“超”の形容詞がつく一流のシェフである。 平成20年12月から西武グループが経営する高輪エリアの(グランドプリンスホテル高輪、グランドプリンスホテル新高、ザ輪・プリンスさくらタワー東京)の総料理長(執行役員)を務めている。「手に職を持つ、美味しいものを食べたい」―この二つの理由が料理人への道の出発点だという。

「動機は本当に単純・明解でしたね」と静かに語る。15歳、高校2年を迎える春のこと。氏は自らが描いた人生設計にそって高校を中退、実社会に飛び出したのである。第一歩は町田市内のレストランがそのスタートだった。間もなく知人の紹介と絶大な助力でプリンスホテルの厨房に移ることができた。希望に満ちた船出だったが、決して現実は甘くなかった。

昭和40年代の料理人の世界―“厳しいたて社会”だった、という。注意の言葉より先に先輩の鉄拳が飛んでくる。もちろん、一切の言い訳は許されない。

「振り返ってみて、今の私があるのは、辛抱しきったお陰ですね。まさに忍の一字の繰り返しの日々でしたよ。私が今の若者に昔のように接したら暴力シェフと訴えられ、直ぐ首ですね…」と言って大笑いされた。

伊藤俊幸 こんな生活が続く中だったが、本物のシェフをめざして、伊藤さんは、頑張りと努力を惜しまなかった。

katsuyaku_itoh02.jpgその一つがフランス語の修得だった。給料の大半をあて、慶応大学で教鞭をとるN女史の自宅で個人レッスンを週2回受けた。日本語に訳された本は一切、目にしなかった。ここで、料理に関するフランス語を身につけたのである。また、下積み時代にもよくフランスに出掛けた、という。

29歳の時には、ホテルの後輩がフランスで長期間修行していて、彼を訪ね渡仏、北西部のナント市に程近いポントワーズという小さな町でしたが、彼の働く店で2日間研修させていただき勉強になりました。

2日間とも夜はチーズとワインを飲みながら語り明かしました。フランス人シェフはとてもいい人で、朝はパリの大市場ランジスまで車で行き、当時日本には無い色々な食材を見せて丁寧に説明してくれたことが印象深く残っています。「就労ビザではなく観光客としてですね。今で言うグルメ旅でした。”本場” の料理のことはもちろんのこと、雰囲気、空気といったものを味わい、肌で感じることが大切と考えたからです…」。洗い場と食材の発注などに3年、本格的に調理実践をして約10余年―伊藤さんが長い下積み時代を終え、シェフとして本格的に腕を振るう時を迎えるのである。

中学時代の伊藤さんをよく知る友人の一人、川俣 晃さんは、「学業は高校1年まででしたが、その後の生きざま、努力を惜しまぬ姿は、私たちの手本ですね。実に素晴らしいもの、学ぶべき所が多いですよ」と感嘆する。佼成学園時代から40年余りの歳月が流れたが、その絆は一層、深まっている、という。

「還暦まであと一年という年齢になりましたが、4年(中学3年、高校1年)余りの学園時代が一番なつかしい」という。

katsuyaku_itoh03.jpg伊藤さんにとって忘れることが出来ない文字どおりの恩師は、当時、野球部の監督をされていた加納良賢(康夫)先生=(現・圓住院名誉住職)である。

伊藤俊幸「私が学校を中退してシェフになる、と言った時、親をはじめ周囲に人たちは全員が反対でした。その中で唯一、賛成し、後押ししてくれたのが先生でした。プリンスでの下積み時代には狛江のご自宅をたずねては、よく悩みやグチを聞いてもらい、その都度、温かい励ましの言葉を頂いたものです。本当に人情味豊かな恩師です」。

ところで後日、加納先生は電話取材にもかかわらず伊藤さんを讃えるメッセージを寄せてくれた。

「山登りにたとえると、途中の苦しみを楽しみにかえていくような理想的な生徒でした」。

妻の加納順子さんも2006年に厚生労働大臣表彰の記念パーティーに出席したが、400人もの前であいさつされる伊藤さんの姿に「修行時代を知る者の一人として、喜びの涙をながしました」と語ってくれた。

伊藤さんは、元赤坂の迎賓館にプリンスの代表として5年間調理接遇を担当したあと、平成9年、滋賀県の大津プリンスホテル総料理長に就任する。

この時代、思い出の一つに日野町原産の固有種、日野菜(カブラの一種)との出逢いがある。「日野菜漬けコンクール」の審査委員長として関わった伊藤さんは、播種後20日程の”ミニサイズ”の日野菜を目にとめ、ホテルの和洋中の料理に取り入れたメニューを作った。今も年二回、初夏と秋にお客様に提供されている。

katsuyaku_itoh04.jpgもう一つは、立命館小学校から委託された給食である。月曜日から金曜日までの5日間。年間約190日この委託を受けた時、伊藤さんは、学校関係者、生徒に対してこんなメッセージを送っている。

伊藤俊幸 飽食の時代といわれ、偏った栄養摂取その結果、肥満症をはじめ、生活習慣病の若年化など増加しはじめている。学校給食は食に関する生きた教材です。食事は「楽しく」「おいしい」が基本ですが「食育」という言葉どおり食によって育まれることは多いのです。何より大地や自然の恩恵を受ける生命の原点が「食べる」ことです。
私はこうした意義を感じた食事を提供できるよう精一杯努力してまいります。
(大津プリンスホテル伊藤総料理長より)

また、2004年(社)全日本司廚士協会滋賀県本部会長就任、同総本部アカデミー金賞。2005年は最高技術顧問賞。同年、滋賀県技能者知事表彰「おうみの名工」受賞。輝かしい歴史と数多く刻んだ12年でもあった。

話は一変する。伊藤さんの趣味はお寺めぐり。

katsuyaku_itoh05.jpg大津時代は車で20分程で京に着くのでよく寺院めぐりをしたという。「二年程で、大半の寺院をめぐりましたね。お寺はあの静寂さがいいですよ。心がやすまりますね。」又、西国三十三ヵ寺もめぐった、という。中でも一番札所・紀州和歌山。那智の滝で知られる那智山青岸渡寺。第二十七番札所・若き日の弁慶が修行した所とし有名な書写山円教寺などが印象深い所だった、という。

伊藤俊幸伊藤さんは、フレンチ(料理)にとって最も大事なのはソースづくり、という。そこに絶大な技を光らせる氏は、常に“愛情を込めて”“楽しく”といった心情を大切にし、プロの職人として自分に厳しい姿勢で様々なフレンチの世界を日々つくりだしている。

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